偏差値40から早慶へ

偏差値40台から早大に逆転合格した独自の勉強法をまとめたブログ。必要なのは今の偏差値ではなく『強い気持ち』です。

【合格体験記】僕が早大に行くまで⑧

前回の続き

 

遂にセンター試験当日を迎えます。

 

センター3日前

 

偏差値40、いや30台からスタートし、最終的には総合70レベルまで上昇させ、遂に受験開幕であるセンター試験に挑む事となりました。

そんな時、センター試験の3日前にある悲報が届きます。

それは、祖父が亡くなったというものでした。

祖父は僕の実家から車で10分程の場所に住んでいて、子供の頃からよく遊びに行っていました。

しかし、数年前から病気を患っていて、入院生活をしていたものの回復する事は無く、最期は会えないままのお別れでした。

 

それからセンター試験まではお通夜やお葬式などで慌ただしく、全く勉強出来ず、精神も不安定になったのは否定出来ない事実です。

しかしながら、それを言い訳には絶対にしたくなかった。

もしもこれでセンター試験やその後に待ち構えている早大入試に失敗したら、弱い自分は言い訳をしてしまうと思った。

だからこそ、絶対に成功させなくてはいけない。

揺れている精神を落ち着かせ、強い気持ちを持ち、いよいよセンター試験への挑戦でした。

 

センター試験の重要さ

 

ちなみに、私大がメインであった僕ですが、センター試験は非常に大きな意味合いを持っていました。

それは、センター利用で滑り止めを確保したいと思っていたからです。

MARCHのいくつかの学部へ志願書を出しており、センターでこれらを確保出来れば、その後の入試日程的にも気持ち的にも大分楽になる事は明確でした。

つまり、早大合格の為にも絶対落とせない試験であったのです。

 

長いようで短かった受験勉強。

色々な事を考えながら会場へと向かいました。

会場へ到着しいざ席に着くと、模試とは違う圧迫感があったことを覚えています。

そして、今まで使い込んできた参考書達を心を落ち着かせる程度にパラパラと読み漁り、あっという間に試験開始時間がやって来ました。

『何があっても絶対に焦らないでやろう。今までやって来たことを素直にやれば良いだけなんだ』と心に強く言い聞かせ、遂に試験がスタートします。

 

試験の結果は...

 

とにかく集中していたので試験中の事はあまり覚えていません。

とりあえず、社会・国語・英語の順に試験は行われ、少し国語でミスをしてしまったな、という感じはあったものの、大きなミス無く終える事が出来ました。

 

会場を出ると、時間は19時を過ぎ、すっかり冬の夜で真っ暗だったという記憶が鮮明にあります。

親が車で迎えに来てくれていたので、それに乗り込むと同時、すぐさま解答速報を見て答え合わせを始めました。

かなりドキドキしながら、まずは1番苦手かつミスをしてしまった国語の採点を行います。

『よし、、、順調だ』『あ、、、ここミスってんな、、』

そんな事を考えながら答え合わせを進めて行き、結果大体160点位(正確な数値が思い出せなくてすいません)は取れている事を確認し、少し物足りなさはあったものの最もネックだった国語で最低限は稼げた事に一安心でした。

次に、社会(政経)の採点を始めます。

『よし、よし、、、あーーこれこっちだったかー』

こんな感じで、結果は95点

ここまで来たら満点欲しかったなーなんて贅沢を思いつつ、これは大満足でした。

 

そして、いよいよ最後に英語の採点へ向かいます。

僕にとって、英語は非常に思い入れが強い科目です。

受験勉強を始めようと決意した時、受験について何も知らない、国立と私立の違いすらわからない状態でまずは手を付けたのが英語でした。

中学生レベルの英語からスタートし、そこで学べたモノは”単なる英語の力”だけではなく、非常に大事な『勉強のやり方』でした。

それは、その後の国語や社会の勉強を効率的に進める礎ともなってくれた事は間違いありません。

そんな英語だけは絶対に落としたく無かった。

そして、自己採点を始めます。

大問1の発音・アクセントとその次の文法問題で合計10点位落としたものの、その後は1問もミス無く、結果は190点。

受験は全ての科目の合計で結果が出るものですが、英語でしっかりと期待した点数を取れた事は本当に嬉しかった。少し泣きそうになったものです(笑)。

ちなみに、リスニングは24点位でした(笑)。

僕はリスニングが苦手で、かつ対策も何一つ取らずに臨んだので、『他で稼いでリスニングは平均点取れればいいや』くらいの気持ちでしたが、結果平均点を下回るという事態でこれにはさすがに少し焦りました...。

 

解答速報で大体の点数を付けただけですが、両親に『たぶんMARCHは取れたよ!』と報告すると、本当に安堵といった感じでした。

僕の両親は共に高卒で、大学受験勉強については何も分からない2人。

しかしながら、僕が早大へ行きたいと言った時にも馬鹿にする事無く、応援し続けてくれた父と母。

そんな2人からすれば、難関私大として名を馳せるMARCHを取れたんじゃないかという報告だけで、本当に喜んでもらえたのだと思います。

  

遂に本丸早大入試

 

センター試験が終わり、いよいよ約1ヶ月後に早大入試へ臨む事となります。

しっかりと自己採点をし直し、マークミスさえ無ければセンターリサーチからもMARCHは取れていると確信出来たので、志願したのは早大の4学部のみ。

マークミスが100%無いとは言い切れないので、合格通知が来るまでの1〜2週間は少しドキドキでしたが、結果として『立教大学経済学部・青山学院大学国際政治経済学部・中央大学経済学部』にしっかりと合格していました。

 

しかしながら、センター試験から早大入試までの1ヶ月間、最後の最後で僕の受験生活にとって間違いなく最も苦しかった時期がやって来ていたのでした。

 

続く(次回最終です)