【合格体験記】僕が早大に行くまで③
前回の続き
志望校を早大と決めたのが、この時期でした。
前回書いた通り、色々な事がキッカケで高校2年生の秋に大学受験を意識し始める事になりました。
しかし、いきなり壁にぶつかります。
今まで何もしてこなかった人間がいざ何かを始めようとしても、何をすれば良いのかわからないのです。
この時は本当に何一つ勉強というものに触れていなかった為、模試(進研記述)では、平均偏差値30台取っている有り様でした。
そこで、まずは受験生っぽくなろうと考えた末に、いっちょ前に”志望校”を定める事にしました。
僕がこの時マトモに知っている大学と言えば『東大・早大・慶應大』と地元の国立大学くらいです。
しかし、都会に出るというのが第一目標だったので、地元は選択肢にありませんでした。
そうなると、最初に考えるのは東京大学です。
田舎の偏差値40台の高校に通い、その中でも底辺を争う人間が東大なんて考えちゃうんですから、無知とは恐ろしいものです。
しかしながら、その幻想はすぐに打ち砕かれます。
理由は難易度というよりも、その科目の多さでした。
国立大学と私立大学は科目の数が違うと知らなかった僕は、その時初めて国立大学に必要な科目数が7科目もあると知ったのです。
3科目でも偏差値30台を取っているのに、それに加えて4科目もやるのはさすがに無理だ...と考え、次に知っていた早慶に選択肢を絞るのでした。
結局、偏差値30台でFラン大ですらおこがましい状態だったものの、『どうせ私立に行くなら、一番良い所に行っときたいな』くらいの軽い考えで志望校を早慶とする事に。
そこで再び選択肢を作ります。
それは、早稲田か慶應どちらを第一志望とするか。
最終的には高3に上がった際に選択科目を政治経済としたので慶應受験をする事は無かったのですが、この時点ではまだ社会科目の選択をしていなかったので早慶どちらでも良い状態でした。
そこで色々と調べていく内に、早稲田に惹かれていきます。
最初に書いた通り、僕はド田舎で両親高卒の”雑草人間”です。
当時持っていたイメージでは慶應=おぼっちゃま、早稲田=バンカラ(ハイカラの対語)という感じだったので、自分に慶應は合わないと考えたんですね。
そんなこんなで、遂に早稲田大学を第一志望と決めたのでした。
次の日、学校で友達に高らかに宣言をします。
『俺、早稲田目指すわ』
偏差値30台の僕より下の成績を取っている人はほぼ周りにいない中、そんな人間がいきなり早稲田を目指すなんて言い出したので、当然呆れられました。
友『知ってる?早稲田って偏差値70取らないと受からないんだよ?』
こんな風に諭され、肩を落としながら次に先生に相談しに行きます。
『先生!俺早稲田に行きたいです!』
赤点追試常連の生徒がいきなりこんな事を言い出したもんだから、先生もポカーンです。
先生『早稲田塾(予備校)に入るのか?あれはここら辺の地域には無いぞ?』
こんな事を言われる始末でした。
しかしながら、自分自身でもこういう返答をされるというのはわかっていました。
僕の高校から早稲田に行く人は毎年1〜2人、それもほとんどが進学コースの人達です。
普通コースの偏差値30台、定期テストですら赤点追試常連の生徒がこんな事を言い出しても、相手にされないのは当然です。
それでも僕は周りに声高らかに宣言したかった。
声に出せば後にはヒケないし、馬鹿にされる事すらも奮起材料としたかったのです。
そして、この日からは大好きだったネトゲも控え、勉強を少しずつでも始めようと決意したのです。